つまずく石も縁の端くれ
ご訪問ありがとうございます。 袖擦り合うも多少の縁。もし気が向きましたならば おつきあいのほどよろしくお願い申し上げますm(__)m 一村雨(ひとむらさめ)
ぬぐ絵画-日本のヌード 1880-1945 国立近代美術館

洋画の伝統であるヌードが、近代日本にどう伝わったか、それがどのように展開して行ったのかという「ヌード史」を学術的にしかも実に分かりやすく紹介してくれる展覧会だった。しかも企画展のみならず、常設展も連動してヌード作品の展示が多く併せて見るとサブタイトルの「日本のヌード」が俯瞰できる。
西洋伝来のヌードを明治の人々がどう思ったのか、黒田清輝らはどう苦心したのかというところが、たいへん面白かった。ヌードを猥褻なものでなく、芸術の対象としてとらえようと、理想の人体増を追求した。その結果として描かれた「智・感・情」が展示されている。この絵の女性のプロポーションは本当に美しい。昔から理想の女性像だと思っていたが、なるほどそんな構図上の工夫があったのかと、解説を読んでいて納得した。
黒田清輝の「裸体婦人」は、下半身に腰巻が巻かれ、紳士がステッキでずらしたというエピソードが、写真とともに紹介されているのも興味深かった。そういえば、ロダンの接吻の展示でも同じようなことがあったという話を聞いたことがある。
そのあと、洋画の第二世代の画家たちは、自らの感情をヌードに反映させる画家や、黒田らが確立したヌードの構図を解体するようになる。中村彝の「小女」など、モデルへの愛情がほとばしる青春の絵画だ。萬鉄五郎は、ここの美術館所有の「裸体美人」の強烈な色彩の絵の印象が強いが、後のかなりマンガチックなヌードが、軽妙で楽しかった。
それにしても、黒田清輝の描いた女性たち、皆、美しかったなぁ。
カテゴリ : アート2011
セガンティーニ展 損保ジャパン東郷青児美術館

記憶をたどると、私とセガンティーニとの出会いは小学校時代まで遡る。当時、年に1回くらい、学校の一室で、業者が美術絵葉書を販売に来ていたのだ。
その中の一枚に、セガンティーニの「アルプスの真昼」があった。大原美術館所蔵かセガンティーニ美術館のものかは定かではないのだが、私はゴッホの「アルルの架け橋」と一緒に購入し、自室に飾っていたのだ。
展覧会の中盤、大原美術館とセガンティーニ美術館の2枚の「アルプスの真昼」が並んでいる空間が、今回の展覧会の白眉である。スコーンと抜けた青空、その周辺の空気がまさにアルプスの一色に染まったような気がする。実はアルプスの空気を吸ったことはないのだが。
セガンティーニは、きらめく光を求めて、アルプスに移り住む。そして独自の分割技法を見出す。セガンティーニの分割技法は好きだ。印象派のような大雑把さではなく、スーラーやシニャックなどの厳密な点描でもなく、程よい長さのタッチと絵具のふくらみが非常に心地よい。今回の展覧会は、そんな心地よさを十二分に味わえる展覧会だ。
もうひとつ、初期のセガンティーニの作品にも感激した。特に「鐘つき番」の明暗表現の見事さ、美しさには目を奪われた。闇と光の表現の絶妙さ。
清々しさが心にしみる展覧会。必見です。
カテゴリ : アート2011
石踊達哉展 日本橋三越

たまにデパートの展覧会で、どちらかの古刹の障壁画の絵画展などを行うことがある。また、どちらかのお寺で、現代画家による襖絵が公開されたりすることがある。今まで、何度かそんな場面に遭遇している。都度その美しさに感激するのであるが、作家の名前まではなかなか覚えていないものである。思い起こすのは唐招提寺御影堂の東山魁夷の障壁画くらいしかない。
今回の石踊達哉という画家も初見であるが、その名前がしっかりと頭に刻まれた。平成琳派の画家といわれる通り、その花鳥風月画の美しさは息を呑むばかりだった。
京都妙法院の障壁画、「輪廻転生」の屏風は岩山にそびえたつ巨大な円環に草花がからみついている。今が盛りの花もあるし、枯れ枝もある。「花降る大地」の屏風は、同様のモチーフの円環が天空に浮いており、散華を散らしている。眺めていると身体中に大宇宙のパワーがみなぎってくる。
そのほか、次々と繰り広げられる色彩の饗宴。至福の時を過ごすことができた。
カテゴリ : アート2011
瑛九展 埼玉県立近代美術館 うらわ美術館

瑛九という画家については、その素性もまったく知らず、近代美術館で見たことのある点描で描かれたような星の絵のイメージしか残っていなかった。
今回、浦和の二つの美術館ではじめて瑛九の全体像を知ることができ、抽象画のわりには、意外となじみやすい画家であることに気づいた。
瑛九の芸術活動は、油彩だけでなく、フォトグラムや版画、水墨画まで幅広い。それぞれ、具象ではないということで、取っつきにくいかなという印象があったが、決してそんなことはなく、それぞれのコーナーで楽しむことができた。
いくつか、印象に残った作品。まず、近代美術館に展示されていた版画「旅人」である。これは、もうひとつの展示会場であるうらわ美術館所蔵のもの。森の間に見える単純化された人物(これが旅人だろう)。そして多くの色とりどりの風船が木々の間に漂う。寂寥感がひしひしと伝わってくる。不思議な雰囲気が漂う味わい深い作品だ。
フォトグラムには、あまりピンとこなかったが、多くの型紙を使いさまざまな実験を行っている。その過程がおもしろい。フォトグラムという作品は、あまり見る機会がないのだが、当時は一世を風靡したのだろう。
あとは、点描で描かれた小さな星々とそこに浮かぶ惑星のような油絵。何枚も見ているうちに、自分も宇宙空間を漂っているかのような感覚におちいる。目玉のように見えるのは瑛九が眼科医の家に生まれ育ったからか。
埼玉県立近代美術館に展示されていた最晩年の点描の作品。画面全体を覆い尽くす点描。すでにモノの形ははっきりしないのだが、大画面いっぱいに埋め尽くされた点に気の遠くなるような思いであった。
カテゴリ : アート2011
知られざる歌舞伎座の名画展 山種美術館

歌舞伎には疎いので、チラシにあるように最近の歌舞伎役者を描いた絵を集めた展覧会だとすっかり思い込んでいてずっと二の足を踏んでいたのだが、思い切って出かけて大正解だった。役者絵だけではなく、歌舞伎座所有の洋画や日本画の数々。これを見逃したら、未来永劫に見ることができないかもしれない絵が次々に目前に現れる。
まずは、高橋由一の「墨堤櫻花」。府中市美術館所蔵のものと違い、桜の花の輪郭がしかと描かれているわけでなく、白い絵の具を置いただけ。明るい青空に白く映えている桜並木が美しい。
驚いたのは、亀井至一の「山茶花の局(美人弾琴図)」。はじめて名前を聞く画家であったが、衝撃的な絵だった。ヌメヌメとした油絵ではあるが、いやらしい感じはまったくなく、日本画の世界を巧みに表現している。女の表情といい、背景の琳派調の屏風にしろ、洋画と日本画の画題が微妙にクロスした不思議な感覚。この作品を知ることができただけで大満足である。
佐伯祐三の妻、佐伯米子の「秋華」。佐伯祐三の妻が画家だったなんてはじめて知った。作品を見たのもこれが初めてかもしれない。
日本画では、松林桂月の「夜桜」の墨の迫力。竹橋の近代美術館でも見た記憶があるが、水墨画でこれだけリアルに描かれた絵の例は、あまり知らない。
速水御舟の「花ノ傍」も良い。最初、このモダンな雰囲気は山口逢春の絵かと思ったら、意外にも御舟であった。着物、テーブルクロス、椅子のストライプ柄が印象深い。
そのほか、川端龍子、東山魁夷、堂本印象など、日本画の巨匠の絵が並ぶ。まさにテーマのごとく、知られざる歌舞伎座の名画だ。
カテゴリ : アート2011

